2011年10月26日水曜日

スティーブ・ジョブズ伝記。表紙と装丁で思うこと。

スティーブ・ジョブズの伝記を買いました。

全体として、あれだけの突貫作業(1カ月も発売を早めたとか)の時間のないなかで、装丁家、編集者、営業担当者、彼らの直属の役員といった方々が打ち合わせを重ねて意見を戦わせた結果なのだろうなぁ、みんなそれぞれ大変だったろうなぁ…というのが一番の感想です。



たしかに上巻のオレンジ(そういえばアップル創業時に「オレンジ」っていう後追い会社があったそうですね)、下巻のグリーン(なんとなく“アップルグリーン”に見えなくもない)ともに刺し色としてさほど効いているとも思えませんし、帯が入ると思いっきり普通のビジネス伝記っぽい感じになっていて、Appleユーザーとしては確かに納得がいくものではありません。が、さりとてソーシャルメディア上で話題になっているほど目くじらをたてていうほどではないとも思いました。

帯を外せば、だいぶ雰囲気かわりますし;-)



むしろ帯やオレンジの刺し色よりも個人的には裏表紙の写真の使い方の方が気になります。



あぐらをかいたJobsの裁ち落とし(一面に写真を引くこと)が日本語版では切り抜きで中央に配されています。バーコードなどのレギュレーションもありますが、切り抜きになっていることもあいまって、なにかちんまい感じ。本として小粒になっていることは否めないでしょう。“Appleファンとして”率直に言えば「確かに残念」であります。

大前提としてワタシ自身は、Jobsを尊敬する生粋のAppleユーザーです。JobsがAppleを追い出されたあとのアメリオ体制のどん底にあるときから途中強制的に2年ほどWindowsを使わされた時をのぞいて今までずっとアップルを使ってきました。初めての仕事で貰ったギャラを全部突っ込んで買ったPowerBook190Cs(世紀の大駄作といわれたPowerBook5300のノンPowerPC版という情けないモデル)が初めてのApple製品といえばおわかりかと。以来、ずっとApple製品とともに雑誌編集の仕事をしてきました(詳しくはLinkedInで)。このブログのタイトルだってまんまです ;-)

さて、ここで考えたのは、もうちょっと別の側面です。

ワタシたちのようなJobsファン、Appleファンは、結局どんな装丁だろうと間違いなく買うでしょう。むしろこの本の売り先は、the Rest of usもとい、それほどJobsやAppleのことを知らない人たちのはず。

彼らには、英語版そのまんまの装丁では、きっと売れません。なぜならその人たちは“Jobs的なるもの、Apple的なるもの”をまだ知らず、ゆえにJobs的表紙は響かないからです。

Jobsファンとして、Appleファンとしてワタシたちがこの本を一番読んで欲しいのは、そういう人たちではないでしょうか? そして、版元の講談社もそういう人たちをターゲットにしているはずです。なぜならこれはビジネスだから。最初からワタシたちのような純粋Jobsファン、Appleファンはベースラインとして織り込み済みです。

「Appleのことを例に出すと社内で叩かれる」なんていう会社がいくつもある日本です。ワタシは、そういう風潮の会社にいるような、Jobsのことを最近知った人にこそこの本を読んでもらいたい。まだ実は読んでないけれど、この本にはきっとその何かがある。

そう考えれば、表紙がJobs的でないということは、ささいなことに思えます。いや、むしろ帯があって良かったとさえ思う(ついでにいうと帯の下になにもないのは装丁家のせめてもの矜持かと)。これを機会に、より多くの日本人に読んでもらい、そこから何かを学んでくれれば、日本や日本の企業も変わるかもしれない。少なくとも変わるきっかけにはなるかもしれない。

この本をもっと多くの人に読んでもらって、ワタシたちJobsファン、Appleファンが感じているような、“よりよい何か”を、日本のいろいろな人に知ってもらうことの方が、より上のレイヤーでJobs的なのではないでしょうか。

なんてったって「世界をより良く変化させていくこと」が彼の人生そのものだったのですから。


2011年10月24日月曜日

miilはもしかして食いしんぼうのキラーになる、かも。

正直自分でも(ちょっと)思うのですが、ワタシ、食いしんぼうだと思います:D

ただ、自分で自分のことを「グルメ」といったことはありませんし、あんまりこの言葉は好きじゃないんですよねぇ。自分で自分のこと「グルメ」っていうのは結構恥ずかしいことなんじゃないかと自分のなかでは思っています。

とはいえ、 @taromatsumuraこんなこと言われたり(笑)、いきなり友達から「丸の内で会食したいんだけどカジュアルめなとこどこ?」と聞かれたりもしていまして、自他共に認める食いしんぼうであることは否定しようがありません。

特にTimelineを見ているかたはやたらワタシがいろいろなところで美味しいものを食い散らかしているように思えるかもしれませんが、3.11以来、近況報告やブレスト的なミーティングをすべてランチミーティングにしているためでもあるんですよ;-)

さて…いいわけはそのくらいにして。

今日、miil.meというサービスが(ひそかに)ローンチしました。


食べ物を撮影してソーシャルに投稿して、共有するのですが、Instagramのようなサービスと違うのは、食べ物に特化して、そこに「いいね!」的な「食べたい!」ボタンがあることです。


写真クリックでiTunesにとびます。
ボタンとかiPhoneアプリのテンプレを使っていないのは
Android版との整合性をとるためでしょうか。

で、この「食べたい!」ボタンがこのサービスのキモであります。「食べたい!」ボタンを押すと、マイページの中に、そのお店なり料理なりが蓄積されていくのです。

これまでFacebookTwitterInstagramで流れてきた美味しそうなところは、ふぁぼったり、せっせと店名やリンク先をEvernoteに入れていたんですが、これを再び「塩ラーメンが食べたいけれど、こないだソーシャルで流れてきたあのお店は…」と探すことはあまりありませんでした。

このmiil.meなら、それはリストとして一括しているわけですから、きっと活用できるでしょう。なぜなら、その写真には位置情報も電話番号も記載されているのですから。なにしろその写真から店に電話もかけられるのですから。これは便利ですねぇ。

意外に思われるかも知れませんが、ワタシは、食べログやぐるなびをほとんど使っていません。

使わない理由は簡単です。

不特定多数の集合的評価であり、美味しい美味しくないは主観的部分も多いので、高い評価が必ずしもそれが自分の好みにあうかわからないからです。
(ついでにいうと、これらのサイトの評価はだいぶ店の雰囲気にポイントが左右されているように感じています)

それよりも、自分がリアルでもソーシャルでも知っている人の勧めるものの方が信頼がおけます。なぜなら、ワタシの好みを知っているからであり、ワタシもその人の好みを知っているからです。AmazonでAmazon内の書評を参考にしたことは一度もありません。それより知っている人が「読了」「オススメ」といった本をAmazonで即ポチすることが殆どです。

そう考えると、miil.meでマイページに蓄積された「食べたい!」店や料理は、その個人にとってキラーになる可能性を秘めていると思うのです。


そして使ってみて、最初に思ったことは、foursquareチェックインをInstagramのようにやって欲しいなぁ、ということです。

最近、食べ物屋さんに入ってfoursquareアプリでチェックインすることがなくなりました。なぜならInstagramに料理を撮って投稿すればついでにfoursquareにチェックインできるからです。いわゆる「Instagram待ち」状態ですね:) そして、Instagramで料理を投稿するときに無言のまま投稿する人はほとんどいないのです。かならずなにかコメントを入れるわけですし、不味くてわざわざ投稿する人も少ないですよね。それにInstagramで料理の写真投稿する人、多くありません?(自分だけ?)

というわけでfoursquare投稿ができるようになるとInstagramとの使い分けができていいんじゃないかなと思います。これができれば間違いなく料理の時にはInstagramを使わなくなると思います。

なぜなら、写真の加工が凄くいいから。ユーザビリティに個人的興味がある自分にとっては色ころびを縦軸(彩度明暗)横軸(色温度)で直接写真の上からいじれるUIはお見事としかいいようがありません。これなら写真の色の知識がなくとも直感的に操作できる。iPhotoやPhotoshopに付けてもいいくらいじゃないかと思うくらい素晴らしいと思います。

最後にもうひとつ。
他にも、いくつかこんな機能があったらいいなぁというのが思いつきまして、それらは実はすでに関係者にお伝えしています;-) 実装されるか否かは、もちろんmiil.meの皆さんが判断することですし技術的に難しいかもしれませんので分かりません。し、されなくても気を悪くしたりしませんので御安心を;-) >関係者各位

でも、実装されたらその暁には、ワタシのアイデアだよ!と自慢させていただきます。

いや、そのくらいちょっと期待したいんですよね。ビジネス的にもひょっとするとひょっとするかもしれません。すくなくともそう思えるサービスがあるのは嬉しいことじゃないですか。


2011年9月28日水曜日

ロールスロイスにこそEVは相応しい。

誰もが認める高級車、ロールスロイスがEVの実験を始めています。
どうやら実験車両の102EXで世界中でキャラバンしているらしく、今、そのクルマが日本にあります。

OPENERS ロールス初のEV「102EX」試乗会の模様を写真でお届け!

実は、自分もちょろっと乗れる予定だったのですが、諸般の事情にてお流れに…とほほー。

さて、いよいよ街中にEVが走り始めた今日この頃。Teslaロードスターや日産LEAFが街を走っているのを見ると、たしかにこれはちょっとした未来感であります。

三菱自動車は市販EVに軽自動車ベースのi-MiEVを選びました。それをメーカー希望小売価格260万円でリリースしたことは、もう敬服に値するとしかいいようはないでしょう。

さて、ロールスロイス。

誰もがひれ伏す高級車でありますが、そのブランドの栄光の歴史は戦前のシルバーゴーストというクルマが評判を得たことに始まります。


ゴーストなんていうおよそクルマに似つかわしくない名前がつけられたのも、当時としては驚異的な静粛性と信頼性の高さを誇ったからで、エンジンをかけてもその上に立てたコイン(20ペンス?50ペンス?)が倒れない…というのが売りだったわけです。

今のロールスロイス・ファントム(これも幽霊の名前ですねぇ)が走っているのを見ると驚きます。その巨大なマス感、凄まじい仕上げ、Meanな意匠、そして静けさ。日本の高級車も凄まじく静かですが、ロールスの静けさもまたちょっと違う感じです。

ロールスロイス(や高級車といわれるクルマたち)は、

エンジンの音を下品なものと見なし、より静かに。
エンジンの振動を野蛮なものと見なし、より振動少なく。
エンジンの排気ガスを汚物と見なし、より少なくクリーンに。

という歴史的文脈にそって進化してきました。
これって、モーターじゃないですか。結局。

ガソリンエンジンなどの内燃機関の進化とはすなわちこれモーターに近づくための進化であったのです(このヒントは20年ほど前に読んだ自動車評論家の館内正さんのエッセイに拠ります)。

加えてエンジンの味が、鼓動が、音が…というのはそもそもロールスロイスには求められていませんし(基本的にはロールスロイスはオーナーが後ろに座るもの、ベントレーはオーナーが運転するもの)。


さて、現在のテクノロジーにおいてEVの欠点は高いことと重いことです。その原因はガソリンに比べてまだまだエネルギー密度の低いリチウムイオン電池が高価で(ガソリンエンジンなみの航続距離を求めるなら)非常に重くなることにほかなりません。

ところが、世に言う高級車というのは、そもそも高価なものですし、重いものです。バッテリーが300kgあったとして、重さ800kgの軽に乗せるより、元から重さ2000kgの大型車の方が影響は少ない。さらに、そのバッテリーが130万円するとして、車両価格が130万円クルマに積んだ場合価格は2倍になりますが、もともと3000万円のクルマだったら価格影響は5%弱。まぁ消費税レベルですわな。

加えて高級車というのはコストをかけられるものです。まだ普及していないカッティングエッジで高価なテクノロジーは金に糸目をつけない高級車だからこそ採用することができるのです。高級車(やスーパーカー)が戦前からそういった役割があったのは事実です。ディスクブレーキ、パワーステアリング、エアコン、オートマチックトランスミッションすべてそうです。持てる者が実際に使ってダメ出しして、その技術が降りてきて実用車に採用され普及するというのがクルマの(というより機械の)歴史でもありました。つまりは世のため人のためにベータテスターになるというのが高級車に乗る人間のNoblesse Obligeなんです。あ、アーリーアダプターともいえますな ;-)

さらにもう一つ。
高級車というのは、社会的立場のある人間が乗るものです。彼らがこのエコブームの中で、でかいガソリンエンジンで排気ガスを出しながら走るクルマに乗る…ということは明らかにこれからマイナスとなるでしょう。

彼らはEVに乗ることで(たとえポーズであったとしても)大きな高級車にのることの社会的なエクスキューズが成り立つのです。

だから、2011年のテクノロジーでは、EVは高級車にこそ相応しいのです。

日本のメーカーはEVを出すにあたり、大衆車を選びました。それは一気に大衆車からEV化して普及させればCO2削減(CO2削減が本当に必要かはここでは問いません)や省エネルギーへのインパクトが大きいからと考えたからだと思います。HVも含めてそこには日本の自動車メーカーの尊敬すべき努力と実力があります。

一方、欧州メーカーはHVもEVも高価なSUVやサルーンからやろうとしている。いかにも封建的というか階級的というかヨーロッパ的ですなぁ。

んじゃ欧州封建社会でも日本的平等でもないアメリカのTeslaのクルマ文脈的立ち位置はどうなのよ、というのはまたの機会に。



おそらくこのエントリーの数日後からロールスロイス「102EX」のインプレッションが出てくる事でしょう。たぶん、この見立ては大枠で外れてはいないと思いますよ。

で、結局何がいいたいかというと、そんなヨーロッパ的なEVロールスロイス「102EX」に乗り損ねたのが悔しいなぁ、自説を体感したかったなぁ、と……それだけなんですけどね :)





2011年9月1日木曜日

LinkedIn リンクトインが便利だと思った瞬間



半年くらい前からLinkedInを使っています。
いよいよ年内に日本語化されるとはいえ、今のところ英語なのでやはり取っつきにくい部分はありますが、気がむいたときにプロフィールを編集したり、Signalなどのいろいろな機能を試してみたり。


ワタシのプロフィールはこちら

さて、このLinkedIn、巷では転職サイトとかキャリアアップSNSとか言われていますし、それも一つの側面でありましょう。でも Joi さんが以下のように語るように

Joi曰く日本でLinkedinをどう展開するかは「まだ決まってない」

LinkedInはキャリアを自分で管理し、学び続けるための仕事効率化ツール - Joi Ito | TAROSITE.NET

自分のキャリアを見つめ、ポートフォリオを作り、将来のために使うツールなのでしょう。

とはいえ、そういったビッグピクチャーを最初から描きつつ新しいサービスを使うのは敷居が高いと思うケースも多いと思います。

かくいう自分もどちらかというとそうだったのですが、しばらく使ってみてひとつ、これは便利だという使い方を発見したのでご紹介します。

その方法とは、単純に名刺をもらった人を片っ端からLinkedInで探し、そしてConnectしておくことです。

こうすると、いちいちパソコンやスマートフォンのアドレスブックに手打ちで連絡先をいれなくても「とりあえずなんとか繋がっている」という感覚があって、手間もかからずとても気がラクになるのです。

LinkedInで繋がっていれば相手が職を変えようとも連絡が取れますし、転職したらそれが直ぐにわかります。特に、威力を発揮するのは外国の人と名刺交換したときです。これまでは外国の人と名刺交換しても、特に直近でコミュニケーションを取る用事がなければ直ぐに疎遠になってしまいませんか。かといってKeep in Touchということでメールをするのもちょっと気が重い。なにしろ用事はないのですから交換日記というわけにもいかないですし。

LinkedInなら、そんなメールを出す必要もない。他のSNS同様にウェブをたまに眺めていれば、彼ら彼女らがなにをしていたり何を考えているかがざっくりわかるからです。

もちろん日本人同士でもこれは同様です。

そしてこれに気がついた時にピンポイントな使い方かもしれませんが、LinkedInはとても便利なサービスだと思ったのです。

FacebookがひたすらユーザーをFacebookの画面を見続けていくようにさまざまな施策を行っているのとは対照的に、LinkedInはユーザー滞在時間を重視していないといいます。

たぶん、LinkedInの設計思想自体も、こういう使い方を(ある部分)想定しているんじゃないかと思います。そう思う一つの根拠としてたとえばこちらのようにCompanyをフォローすると現れるその会社に勤めている人が前職はどこにいて、転職してどこにいったかがわかる機能があります(この機能の名前がわからないw)。

これは、同じ個人SNSであってもFacebookにはない機能です。なぜなら、サービスのアーキテクチャーとしてFacebookにはそれがないからです。出発点が違うというか骨格が違う感じ。そんな感じ。

こう考えれば、FacebookとLinkedInの使い分けもおのずと明確になるのではないでしょうか;-)

One more thing

弊社で、ちょっと複数の海外企業にアプローチをかけようと思っています(そのうちの一つは現地に行く事も厭わないつもりでいます)。それである方に繋いでもらうことにしたのですが、「森さんと会社のプロフィールをまとめたものはありますか?」と聞かれました。その時「あ、LinkedInのプロフィールを先方に送ってもらえれば大丈夫と思いますよ。補足部分はメールしますね」と口から出たのです。それはまったくもって自分で自分のことに驚いたくらい無意識なことでした。

2011年8月24日水曜日

Windows Phone 7(au IS12T)にあってiPhoneにない決定的なもの

先日、@taromatsumura のお誘いで、Windows Phone 7のトークショーに(しゃべる方で)参加してきました。


このときの模様は #WinPhoTT のログを見ていただければ一連の流れはわかっていただけると思いますし、自分の発言と思い切り重複しますが健忘録的に。

結論からすると相当気に入りました。生まれて初めてマイクロソフト製品で積極的に欲しいと思った…と言えばどのくらいいいのかがわかっていただけるかと ;-)

Windows Phone 7では、People Hubという人軸のUIがOSレベルで組み込まれていています。やっとこういう構造のスマートフォンが出てきてくれたか、という感じ。

以前、@tatari76 にBlackBerryを見せてもらった時に関心したことを思い出しました。BlackBerryは、連絡を取りたい人を選び→その人に対して電話をするのか、SMSをするのかEメールをするのか、それともソーシャルメディアのポストを見るのか(ないしはDMをするのか)を選ぶという順番になっているのですね。

これを教えてもらった当時、ああ、これだなと思ったワケです。

Windows Phone 7のPeople Hubも似たような設計思想なんです。
そのパネルにFacebookもTwitterもLinkedInもすべてのポストが一括して流れてきます。そして自分に関連するreplyが流れてきてもそれを一括に表示してくれる。


誰かに連絡を取りたい場合は、まずは人を選び、次にそのアドレス帳(みたいなもの)に住所も電話番号もSNSのアカウントも全てが一括で表示され、そこからどの経路で連絡を取るかをユーザーは選ぶのです。

一方、iPhoneはAさんに連絡を取りたい場合は、まず、Twitterにするか、電話にするかSMSにするか、アプリをタップして立ち上げ、そこから目的の人を探します。当たり前のようにそうしていたけれど、何か違う。手段と目的がひっくり返っているような。

トークショーではこれをテレビのリモコンにたとえて話しました。

家から帰ってきてリモコンを掴み、テレビをつける。このとき、SONYのテレビのリモコンは1チャンネルのボタン「1」を押せば、テレビの電源が入り、同時に1チャンネルが表示されます。ところが一部のリモコンは、1を押してもテレビの電源が入りません。まず「電源」ボタンを押して、テレビをつけ、しかるのちに1を押すと1チャンネルを見る事ができます。

後者はおかしいのです。

ワタシは「テレビの電源を入れたいから」リモコンを手にしたのではないのです。「1チャンネルが見たいから」リモコンを手にしたのです。

この差は大きい。自分でテレビを買うようになってからずっとなんだかんだ言ってもSONYを買い続けている理由の一つがここにあるくらいです(たぶん一部の他社はそうでしょう)。

iPhoneのコミュニケーションというのは、後者のリモコンに近い。

で、BlackBerryの思想を知ってから、どうにかそういう使い方ができないかとiPhoneのアプリの電話、SNS、Twitter、Facebook、Beluga、Skypeなどをすべて「Communication」フォルダに入れて無理矢理使ってみたりもしたのですが、どうにもやはりダメ。ホーム部分のど真ん中に「連絡先」アプリをおいてみてもダメ。なんとなれば、各アプリ内で結局もう一度目的の人を探さなければいけないし、iPhoneの(MacOSも)「連絡先」とソーシャルメディアが前提でないからです。Lionでやっとアドレスブックにソーシャルメディア欄がつきましたれども。

Windows Phone 7はそれができる。OSの骨格が違う、というようなイメージです。

スマートフォンは音声通信という意味での電話でないことは自明です。スマートフォン=コミュニケーションツールと考えるなら、私たちは何をしたいのでしょうか。誰かとコミュニケーションを取りたいからそれを使うのです。Eメールを使うのかTwitterで近況を見たいのか、急ぎで電話をしたいのか、そんな手段はその次。どうでもいい。誰かとコミュニケーションを取りたいのですから。



Windows Phone 7は初めての「ソーシャルネイティブな」OSであり、初めての「ソーシャルネイティブな」スマートフォンなんだなと思います。

iPhone(とMac OS XとAndroid)になくてWindows Phone 7にあるもの。
それはソーシャルに対するネイティブ感でしょう。

余談ですが、ウェブサイトのデザインで今年から来年にかけて、こうしたタイルデザインがすごく流行るんじゃないかと。Flipboardとかもそうですし。実は自分の会社のサイトもそうしようかなぁと思っているのですが、仕様書書かなきゃと思ってはや2月たっちゃったりしています :(






2011年8月21日日曜日

Startup Weekend Tokyo スタートアップウィークエンド に行ってきた。

8月20日にStartup Weekend Tokyoに行ってきた。


Bithausの石原くん(@tatari76)に誘われて、ちょっといろいろ話を聞きにいった分けですけれども、思った以上に面白くて刺激的でした。

このStartup Weekend、ウェブを見れは内容は一目瞭然なのですが、「アイデアはあるんだけど、プログラムはわからない」「コードはかけるんだけどアイデアはない」「アイデアもコードもかけないけれど人脈はある」みたいな人たちがいきなり集まっていきなりアイデアを出し合ってそれぞれチームを突発的に作り、そのチームで3日間で新しいサービスなりアプリなりを投資家や企業にプレゼンテーションできるモックレベルまで作っちゃうというイベントです。

東京以外にも次は福岡など各地でやってて、各大会のトップ同士が競ってさらに世界各国で同様のイベントで勝ち上がってきたグループと最後はアメリカでチャンピオンを決める、と。チャンピオンやスジの良さそうなプロジェクトにはVCやら企業やらがサポートして本格的に事業かを進めると。スタートアップの天下一武道会みたいなものかも ;-)



それこそゴリゴリとホワイトボードの前で議論を進める様は映画「ソーシャルネットワーク」のワンシーンのようでもあり非常にポジティブな雰囲気に溢れていました。

Bithausのプロジェクトとしてアフター311のこれからのワークスタイルのありかたみたいなものをインタビューして回ったのですが、印象的だったのは必ずしもIT系とかフリーランス、個人事業主の人ばかり…というわけではなかったことでした。

彼らは必ずしも自分でスタートアップをやろうというワケではないようです。
自分の視野を広めたいとか。
まったく新しい人と接してみたいとか。

それもまた個の天下一武道会みたいなものですね。
少なくともその場で自分がどんな人間でどんな能力を持っていてどうその場に貢献できるのかをプレゼンテーションしなければならないのですから、コミュニケーション力は必要になるでしょう。

いわゆる異業種交流会みたいなパーティーで名刺交換をしたとしても、そのコネクションが実際に何かの役に立つかといえば、実際はそうではないでしょう。少なくともレストランなどを貸し切って行うそれらはほぼ合コンに近い感じですし。

こうした参加の仕方は、本来のStartup Weekendの趣旨とは少し外れるのかもしれません。

ですが、彼らは7500円の参加費を払って貴重な土日をフルに使って参加し、その時間のなかで自分の知恵、知識、アイデアをフルに無償でチームに提供してプロジェクトをドライブさせているのですから、高い意識がないと参加できないでしょう。それに人と知り合うだけが目的ならチーム内で「使えない人間」の烙印を押されてしまうわけで。

これからの働きかたを考える場としてのスタートアップウィークエンド。こうした場所が小さくとも同時多発的に日本の各地に出来たとき、点と点が繋がって面になったとき、少しは日本のワークスタイルや起業のスタイルが変わる時なのかもしれません。その初期段階をかいま見れた気がします。

今日21日は最終日で審査の日。どんなサービスが生まれるか楽しみです。参加者の皆さんお疲れさまでした。







2011年8月19日金曜日

「グランツーリスモ5」の可能性

「グランツーリスモ」にある物理エンジンには、どういう可能性があるのでしょうか。

「グランツーリスモ」を製作したポリフォニーデジタルは、EV時代のクルマメーカーになる可能性があるのです。

各クルマメーカーはハンドルとステアリングを物理的に切り離して操舵する「ステアリング・バイ・ワイヤ」を研究しています。ただ、これには個人的にはいくつかの問題があると思っています(もちろんクルマメーカーはわかっていると思います)。それは信頼性の面、そしてステアリングフィードバックの件です。

ステアリングフィードバックとはハンドルを通じて、その路面が滑りやすいのか、滑らかなのか、砂利があるのかなどを伝えることです。最近のクルマではそれを極力無くす方向にありますが、それはそれで危険でしょう。というのも滑りやすいということが運転者に伝わらなければ、それと知らずにむちゃな運転をする可能性が高いからです。

地面が凍っているとわからずに革靴で普通にあるけば転んで痛い目にあうでしょ? ;-)

ステアリング・バイ・ワイヤでは、物理的なシャフトやリンクでタイヤとハンドルがつながっていませんからそういう可能性が多々にあるのです。

そこでグランツーリスモです。このゲームではステアリングコントローラーを使うと、
人工的なステアリングの感触をモーターで作っているのです。まだまだ実物のクルマそっくりとは行きませんが、96kbpsのMP3くらいの感触はすでにある。少なくとも、フロントタイヤが滑ってラインが外にはらんでいるなぁ…くらいはわかる。

ということはポリフォニーデジタルはすでに”物理的な接続が無くとも”ステアリングインフォメーションを出すためのアルゴリズムとプログラムをすでに持っているということです。

これをさらに精度を高めてステアリング・バイ・ワイヤの実車のハンドル側のモーターの制御系に使ったらどうでしょうか。
彼らは10年以上、初代プレイステーションの時代からの蓄積があるのです。クルマメーカーが今から開発するよりも、彼らのアルゴリズムを買う、という可能性もなくはないでしょう。

実は、彼らのアルゴリズムはステアリング・バイ・ワイヤでなくてもすでに利用できるかもしれません。

今、道を走っているクルマの多くは電動パワーステアリングを使っています。
これはハンドルの戻る力やハンドルの重さをすでにモーターで人工的に”演出”しています。
明日、どこかのクルマメーカーが電動パワーステアリングのフィーリングをよくするために
ポリフォニーデジタルのドアをたたく…かもしれません。いや、すでにどこかが取り入れているのかも ;-)

ステアリング・バイ・ワイヤの話はあくまで一例でしかありません。クルマがEVになるにつれ、きっとこういう異業種参入が増える事でしょう。

ただし、それは「ハードウエアがコモディティ化するからAppleがクルマを作るかも」というのとはまったく別のリアルなレイヤーで起こると思います。

「グランツーリスモ5」にゴーストはあるか。


昨年、グランツーリスモ5(以下GT5)が発売されました。
そら恐ろしいほどのリアリズムと、あまりに深く広大なゲーム性は3年間待ったかいがあるというもの。
猿のように毎晩やっている自分と同じ人間が世界中に何十万といるわけです。いやすごいね。


グランツーリスモシリーズが他のドライブゲームを圧倒的に凌駕する点は、どこだと思いますか?
グラフィック?操縦性のリアリズム?世界観? どれも間違いではないのですが、
それはゲームの表層に現れた、氷山の一角のようなものでしかありません。

海に隠された氷山の本体、グランツーリスモの根っこにあり、凡百のドライブゲームにないもの、
それは物理エンジンです。

グランツーリスモでアクセルを踏む→エンジン回転数が上がる→タイヤがスリップする→スピードが上がる…
この一連の動きはすべて実車のシミュレーションから成り立っています。つまり実車のエンジンの排気量、圧縮比、ボアストロークから「実物だったら発生しうる出力」をリアルタイム演算し、それを実車のギア比に応じて減速を計算し、路面のミュー(摩擦抵抗)とタイヤ幅と直径とゴムのヒステリシスと単位当たり面積(車重など)を演算してスリップの具合を画面に表示しているのです。ちなみにトラクションコントロールは実車と同じようにトラクションコントロールがない状態のシミュレーション(エンジン出力)をして、そこに「トラクションコントロールのプログラム」をかぶせて表現しています。

では他のドライブゲームはどうかといえば、アクセル開度、車速などに応じて考えられるいくつものパターンを用意しておいて、それを次々と切り替えているのです。それでもリアルに見えるのは、もちろんゲームマシンのパワーが上がってパターンの数と切り替えが膨大な数になっているから。つまりはいくらリアルに見えても、それは力技であってやたらと細かい紙芝居みたいなものなのです。

さて、グランツーリスモ。
このゲームが恐ろしいのは、その物理エンジン故に、プレイすると運転しやすいしにくいはもちろん、クルマの軽さ重さ、慣性力、車体剛性の高い低いが感じられる領域にまで到達したという点にあります。そう、コントローラーを通じて実体感を持つに至ったのです。

さらに恐ろしいのはハンドルコントローラーでプレイした時です。ハンドルコントローラーにはモーターが入っていて、縁石を乗り越えた時の感触、タイヤが滑っている時の感触、アスファルトに砂が浮いている時の感触、それらすべてが分かります。すべてが違う表現で再現されています。



つまり、グランツーリスモでドライブするクルマは、PS3のCELLチップの中に「物理計算で形作られた本物のクルマ」がモニタ上で走っているのです。

クルマが馬車に戻るとき


自動車が生まれておよそ120年。

ゴッドリープ・ダイムラーが1886年に発明したそれは、当時「馬なし馬車」と呼ばれていました。由来は文字通り馬が引いていないのに「自分で動く車」だからにほかならないのですが、同時にそれはクルマの成り立ちをも表していたのです。

……というのも当時のクルマは馬車とほとんど同じ構造だったから。馬車は車輪とサスペンション、それらを支えているフレームをまとめたシャシー(車台)と、ボディと内装は別物で、お客さんはシャシーを馬車屋から買い、好みのボディを乗せていたわけですね。自動車が普及するに連れて、馬車屋はこんどはクルマのボディを作るようになっていきました。もちろん、それを買えたのは、ほんの一握りの富裕層でした。彼らは、自分のわがままと美意識をクルマのボディに求めます。ですから元馬車屋に思い思いのボディを作らせ買ってきたシャシーに乗せたのです。

これをコーチビルドいいます。そして、その業者をコーチビルダーといいます。コーチ(Coach)とは、馬車のことですね。

なかなか想像つかないことかもしれませんが、だからロールス・ロイス、ベントレー、アルファロメオ、キャディラックといった戦前の超高級車は、車名が同じだったとしてもボディが同じとは限らなかったのです。いや、むしろ同じ“吊るし”のクルマは殆どなかったといってもいいでしょう。マリナー、パークォード、フーパー、ヴァン・ヴォーレンといったコーチビルダーが、お客の要望に応え、職人技と美しさをひたすらに競っていたのです。

性能的になんら今と比べるところのない戦前のクルマたちが、人々を振り向かせ、クルマに詳しくなくとも何か超然としたもの感じさせるのは、だからでしょう。

ところが、第二次世界大戦で状況は一変します。戦後、社会経済が変化し、モータリゼーションが訪れ、クルマの大量生産が始まりました。車体は量産に向き、ボディとシャシーが一体化された強固なモノコック構造に変化しました。モノコックはボディとフレームが一体ですからボディを乗せかえるという芸当はできません。で、コーチビルダーは廃業、さもなくば大メーカーに吸収されコーチビルド文化は途絶えてしまったのです。

時はめぐって、2011年。2010年のリーマンショック後の社会意識の変化をきっかけに「絵に描いた餅」でしかなかったEVがいよいよ現実のものとなりつつあります。三菱iMiEVの発売に日産リーフの発表、テスラの日本上陸。2010年から2011年にかけて、後に日本のEV元年と呼ばれることになるでしょう。

クルマがEVになれば、モーター、バッテリー、制御機構、ソフトウエアがコモディティ化します。これは誰もが予想できることでしょう。パソコンやスマートフォンを見れば明らかなようにメーカーはそれらを組み合わせ最適化し、シャシーを作るようになるかもしれません。床下にバッテリーを置き、前か後ろにモーターと制御機構を置くことでパソコンでいうロジックボードのようなプラットフォーム構造が取りやすくなります。

ただ、ここで声を大にしていいたいのは、だからといってハンドリングや衝突安全性、乗り味といった部分は一朝一夕にできるものではないということです。

それは圧倒的に今あるクルマメーカーの有形無形のノウハウの蓄積があり、クルマメーカーの領分なのは明らかです。どこかのメーカーがプラットフォームとしてシャシーだけを販売する可能性は十分にありえますが、だからといって素晴らしい乗り味のクルマを作れるか、ということとは別の次元であります。それはAppleのMacBook Airとその他Windowsのノートパソコンが殆ど同じパーツを使っているのにデザイン、質感、使い心地が圧倒的に違うという事実が証明しています。


さて、仮にEVでパーツがコモディティ化したとすると、そこに必ずヒトは差別化を求めていくものです。人と違ったものが欲しい、と。好きなデザインのボディ、少数限定のボディを求める人々が出てくるはずです。求める人間がいれば応える人間が出てくるものです。ワンオフ、もしくは極少数のためのデザインや、ネットでボディのオーダーメイドができるようになるかもしれません。少なくともテクノロジーの進化は、かつてより少量生産も多様な意匠のボディも作りやすくしています。

そう、120年の時を経て、コーチビルドという文脈でクルマは再び馬車に戻るのです。

さらにEVにはソーシャルメディア、ジオロケーション、スマートグリッド、ナビがネットで融合します。

このあたりはWIEREDに僭越ながらコラム「クルマが「パケット」。そして道路は通信網となる」を書かせていただきました ;-)


コンポーネンツ、コーチビルド、通信の分野でその周辺に新しい産業と経済が興るでしょう。それは、新しいクルマの楽しみ方が生まれる時でもあります。今よりもっと美しく楽しいクルマが道を走る日が目の前に迫っていると思うとワタシはワクワクしますねぇ。EVの世界にようこそ。