2011年8月24日水曜日

Windows Phone 7(au IS12T)にあってiPhoneにない決定的なもの

先日、@taromatsumura のお誘いで、Windows Phone 7のトークショーに(しゃべる方で)参加してきました。


このときの模様は #WinPhoTT のログを見ていただければ一連の流れはわかっていただけると思いますし、自分の発言と思い切り重複しますが健忘録的に。

結論からすると相当気に入りました。生まれて初めてマイクロソフト製品で積極的に欲しいと思った…と言えばどのくらいいいのかがわかっていただけるかと ;-)

Windows Phone 7では、People Hubという人軸のUIがOSレベルで組み込まれていています。やっとこういう構造のスマートフォンが出てきてくれたか、という感じ。

以前、@tatari76 にBlackBerryを見せてもらった時に関心したことを思い出しました。BlackBerryは、連絡を取りたい人を選び→その人に対して電話をするのか、SMSをするのかEメールをするのか、それともソーシャルメディアのポストを見るのか(ないしはDMをするのか)を選ぶという順番になっているのですね。

これを教えてもらった当時、ああ、これだなと思ったワケです。

Windows Phone 7のPeople Hubも似たような設計思想なんです。
そのパネルにFacebookもTwitterもLinkedInもすべてのポストが一括して流れてきます。そして自分に関連するreplyが流れてきてもそれを一括に表示してくれる。


誰かに連絡を取りたい場合は、まずは人を選び、次にそのアドレス帳(みたいなもの)に住所も電話番号もSNSのアカウントも全てが一括で表示され、そこからどの経路で連絡を取るかをユーザーは選ぶのです。

一方、iPhoneはAさんに連絡を取りたい場合は、まず、Twitterにするか、電話にするかSMSにするか、アプリをタップして立ち上げ、そこから目的の人を探します。当たり前のようにそうしていたけれど、何か違う。手段と目的がひっくり返っているような。

トークショーではこれをテレビのリモコンにたとえて話しました。

家から帰ってきてリモコンを掴み、テレビをつける。このとき、SONYのテレビのリモコンは1チャンネルのボタン「1」を押せば、テレビの電源が入り、同時に1チャンネルが表示されます。ところが一部のリモコンは、1を押してもテレビの電源が入りません。まず「電源」ボタンを押して、テレビをつけ、しかるのちに1を押すと1チャンネルを見る事ができます。

後者はおかしいのです。

ワタシは「テレビの電源を入れたいから」リモコンを手にしたのではないのです。「1チャンネルが見たいから」リモコンを手にしたのです。

この差は大きい。自分でテレビを買うようになってからずっとなんだかんだ言ってもSONYを買い続けている理由の一つがここにあるくらいです(たぶん一部の他社はそうでしょう)。

iPhoneのコミュニケーションというのは、後者のリモコンに近い。

で、BlackBerryの思想を知ってから、どうにかそういう使い方ができないかとiPhoneのアプリの電話、SNS、Twitter、Facebook、Beluga、Skypeなどをすべて「Communication」フォルダに入れて無理矢理使ってみたりもしたのですが、どうにもやはりダメ。ホーム部分のど真ん中に「連絡先」アプリをおいてみてもダメ。なんとなれば、各アプリ内で結局もう一度目的の人を探さなければいけないし、iPhoneの(MacOSも)「連絡先」とソーシャルメディアが前提でないからです。Lionでやっとアドレスブックにソーシャルメディア欄がつきましたれども。

Windows Phone 7はそれができる。OSの骨格が違う、というようなイメージです。

スマートフォンは音声通信という意味での電話でないことは自明です。スマートフォン=コミュニケーションツールと考えるなら、私たちは何をしたいのでしょうか。誰かとコミュニケーションを取りたいからそれを使うのです。Eメールを使うのかTwitterで近況を見たいのか、急ぎで電話をしたいのか、そんな手段はその次。どうでもいい。誰かとコミュニケーションを取りたいのですから。



Windows Phone 7は初めての「ソーシャルネイティブな」OSであり、初めての「ソーシャルネイティブな」スマートフォンなんだなと思います。

iPhone(とMac OS XとAndroid)になくてWindows Phone 7にあるもの。
それはソーシャルに対するネイティブ感でしょう。

余談ですが、ウェブサイトのデザインで今年から来年にかけて、こうしたタイルデザインがすごく流行るんじゃないかと。Flipboardとかもそうですし。実は自分の会社のサイトもそうしようかなぁと思っているのですが、仕様書書かなきゃと思ってはや2月たっちゃったりしています :(






2011年8月21日日曜日

Startup Weekend Tokyo スタートアップウィークエンド に行ってきた。

8月20日にStartup Weekend Tokyoに行ってきた。


Bithausの石原くん(@tatari76)に誘われて、ちょっといろいろ話を聞きにいった分けですけれども、思った以上に面白くて刺激的でした。

このStartup Weekend、ウェブを見れは内容は一目瞭然なのですが、「アイデアはあるんだけど、プログラムはわからない」「コードはかけるんだけどアイデアはない」「アイデアもコードもかけないけれど人脈はある」みたいな人たちがいきなり集まっていきなりアイデアを出し合ってそれぞれチームを突発的に作り、そのチームで3日間で新しいサービスなりアプリなりを投資家や企業にプレゼンテーションできるモックレベルまで作っちゃうというイベントです。

東京以外にも次は福岡など各地でやってて、各大会のトップ同士が競ってさらに世界各国で同様のイベントで勝ち上がってきたグループと最後はアメリカでチャンピオンを決める、と。チャンピオンやスジの良さそうなプロジェクトにはVCやら企業やらがサポートして本格的に事業かを進めると。スタートアップの天下一武道会みたいなものかも ;-)



それこそゴリゴリとホワイトボードの前で議論を進める様は映画「ソーシャルネットワーク」のワンシーンのようでもあり非常にポジティブな雰囲気に溢れていました。

Bithausのプロジェクトとしてアフター311のこれからのワークスタイルのありかたみたいなものをインタビューして回ったのですが、印象的だったのは必ずしもIT系とかフリーランス、個人事業主の人ばかり…というわけではなかったことでした。

彼らは必ずしも自分でスタートアップをやろうというワケではないようです。
自分の視野を広めたいとか。
まったく新しい人と接してみたいとか。

それもまた個の天下一武道会みたいなものですね。
少なくともその場で自分がどんな人間でどんな能力を持っていてどうその場に貢献できるのかをプレゼンテーションしなければならないのですから、コミュニケーション力は必要になるでしょう。

いわゆる異業種交流会みたいなパーティーで名刺交換をしたとしても、そのコネクションが実際に何かの役に立つかといえば、実際はそうではないでしょう。少なくともレストランなどを貸し切って行うそれらはほぼ合コンに近い感じですし。

こうした参加の仕方は、本来のStartup Weekendの趣旨とは少し外れるのかもしれません。

ですが、彼らは7500円の参加費を払って貴重な土日をフルに使って参加し、その時間のなかで自分の知恵、知識、アイデアをフルに無償でチームに提供してプロジェクトをドライブさせているのですから、高い意識がないと参加できないでしょう。それに人と知り合うだけが目的ならチーム内で「使えない人間」の烙印を押されてしまうわけで。

これからの働きかたを考える場としてのスタートアップウィークエンド。こうした場所が小さくとも同時多発的に日本の各地に出来たとき、点と点が繋がって面になったとき、少しは日本のワークスタイルや起業のスタイルが変わる時なのかもしれません。その初期段階をかいま見れた気がします。

今日21日は最終日で審査の日。どんなサービスが生まれるか楽しみです。参加者の皆さんお疲れさまでした。







2011年8月19日金曜日

「グランツーリスモ5」の可能性

「グランツーリスモ」にある物理エンジンには、どういう可能性があるのでしょうか。

「グランツーリスモ」を製作したポリフォニーデジタルは、EV時代のクルマメーカーになる可能性があるのです。

各クルマメーカーはハンドルとステアリングを物理的に切り離して操舵する「ステアリング・バイ・ワイヤ」を研究しています。ただ、これには個人的にはいくつかの問題があると思っています(もちろんクルマメーカーはわかっていると思います)。それは信頼性の面、そしてステアリングフィードバックの件です。

ステアリングフィードバックとはハンドルを通じて、その路面が滑りやすいのか、滑らかなのか、砂利があるのかなどを伝えることです。最近のクルマではそれを極力無くす方向にありますが、それはそれで危険でしょう。というのも滑りやすいということが運転者に伝わらなければ、それと知らずにむちゃな運転をする可能性が高いからです。

地面が凍っているとわからずに革靴で普通にあるけば転んで痛い目にあうでしょ? ;-)

ステアリング・バイ・ワイヤでは、物理的なシャフトやリンクでタイヤとハンドルがつながっていませんからそういう可能性が多々にあるのです。

そこでグランツーリスモです。このゲームではステアリングコントローラーを使うと、
人工的なステアリングの感触をモーターで作っているのです。まだまだ実物のクルマそっくりとは行きませんが、96kbpsのMP3くらいの感触はすでにある。少なくとも、フロントタイヤが滑ってラインが外にはらんでいるなぁ…くらいはわかる。

ということはポリフォニーデジタルはすでに”物理的な接続が無くとも”ステアリングインフォメーションを出すためのアルゴリズムとプログラムをすでに持っているということです。

これをさらに精度を高めてステアリング・バイ・ワイヤの実車のハンドル側のモーターの制御系に使ったらどうでしょうか。
彼らは10年以上、初代プレイステーションの時代からの蓄積があるのです。クルマメーカーが今から開発するよりも、彼らのアルゴリズムを買う、という可能性もなくはないでしょう。

実は、彼らのアルゴリズムはステアリング・バイ・ワイヤでなくてもすでに利用できるかもしれません。

今、道を走っているクルマの多くは電動パワーステアリングを使っています。
これはハンドルの戻る力やハンドルの重さをすでにモーターで人工的に”演出”しています。
明日、どこかのクルマメーカーが電動パワーステアリングのフィーリングをよくするために
ポリフォニーデジタルのドアをたたく…かもしれません。いや、すでにどこかが取り入れているのかも ;-)

ステアリング・バイ・ワイヤの話はあくまで一例でしかありません。クルマがEVになるにつれ、きっとこういう異業種参入が増える事でしょう。

ただし、それは「ハードウエアがコモディティ化するからAppleがクルマを作るかも」というのとはまったく別のリアルなレイヤーで起こると思います。

「グランツーリスモ5」にゴーストはあるか。


昨年、グランツーリスモ5(以下GT5)が発売されました。
そら恐ろしいほどのリアリズムと、あまりに深く広大なゲーム性は3年間待ったかいがあるというもの。
猿のように毎晩やっている自分と同じ人間が世界中に何十万といるわけです。いやすごいね。


グランツーリスモシリーズが他のドライブゲームを圧倒的に凌駕する点は、どこだと思いますか?
グラフィック?操縦性のリアリズム?世界観? どれも間違いではないのですが、
それはゲームの表層に現れた、氷山の一角のようなものでしかありません。

海に隠された氷山の本体、グランツーリスモの根っこにあり、凡百のドライブゲームにないもの、
それは物理エンジンです。

グランツーリスモでアクセルを踏む→エンジン回転数が上がる→タイヤがスリップする→スピードが上がる…
この一連の動きはすべて実車のシミュレーションから成り立っています。つまり実車のエンジンの排気量、圧縮比、ボアストロークから「実物だったら発生しうる出力」をリアルタイム演算し、それを実車のギア比に応じて減速を計算し、路面のミュー(摩擦抵抗)とタイヤ幅と直径とゴムのヒステリシスと単位当たり面積(車重など)を演算してスリップの具合を画面に表示しているのです。ちなみにトラクションコントロールは実車と同じようにトラクションコントロールがない状態のシミュレーション(エンジン出力)をして、そこに「トラクションコントロールのプログラム」をかぶせて表現しています。

では他のドライブゲームはどうかといえば、アクセル開度、車速などに応じて考えられるいくつものパターンを用意しておいて、それを次々と切り替えているのです。それでもリアルに見えるのは、もちろんゲームマシンのパワーが上がってパターンの数と切り替えが膨大な数になっているから。つまりはいくらリアルに見えても、それは力技であってやたらと細かい紙芝居みたいなものなのです。

さて、グランツーリスモ。
このゲームが恐ろしいのは、その物理エンジン故に、プレイすると運転しやすいしにくいはもちろん、クルマの軽さ重さ、慣性力、車体剛性の高い低いが感じられる領域にまで到達したという点にあります。そう、コントローラーを通じて実体感を持つに至ったのです。

さらに恐ろしいのはハンドルコントローラーでプレイした時です。ハンドルコントローラーにはモーターが入っていて、縁石を乗り越えた時の感触、タイヤが滑っている時の感触、アスファルトに砂が浮いている時の感触、それらすべてが分かります。すべてが違う表現で再現されています。



つまり、グランツーリスモでドライブするクルマは、PS3のCELLチップの中に「物理計算で形作られた本物のクルマ」がモニタ上で走っているのです。

クルマが馬車に戻るとき


自動車が生まれておよそ120年。

ゴッドリープ・ダイムラーが1886年に発明したそれは、当時「馬なし馬車」と呼ばれていました。由来は文字通り馬が引いていないのに「自分で動く車」だからにほかならないのですが、同時にそれはクルマの成り立ちをも表していたのです。

……というのも当時のクルマは馬車とほとんど同じ構造だったから。馬車は車輪とサスペンション、それらを支えているフレームをまとめたシャシー(車台)と、ボディと内装は別物で、お客さんはシャシーを馬車屋から買い、好みのボディを乗せていたわけですね。自動車が普及するに連れて、馬車屋はこんどはクルマのボディを作るようになっていきました。もちろん、それを買えたのは、ほんの一握りの富裕層でした。彼らは、自分のわがままと美意識をクルマのボディに求めます。ですから元馬車屋に思い思いのボディを作らせ買ってきたシャシーに乗せたのです。

これをコーチビルドいいます。そして、その業者をコーチビルダーといいます。コーチ(Coach)とは、馬車のことですね。

なかなか想像つかないことかもしれませんが、だからロールス・ロイス、ベントレー、アルファロメオ、キャディラックといった戦前の超高級車は、車名が同じだったとしてもボディが同じとは限らなかったのです。いや、むしろ同じ“吊るし”のクルマは殆どなかったといってもいいでしょう。マリナー、パークォード、フーパー、ヴァン・ヴォーレンといったコーチビルダーが、お客の要望に応え、職人技と美しさをひたすらに競っていたのです。

性能的になんら今と比べるところのない戦前のクルマたちが、人々を振り向かせ、クルマに詳しくなくとも何か超然としたもの感じさせるのは、だからでしょう。

ところが、第二次世界大戦で状況は一変します。戦後、社会経済が変化し、モータリゼーションが訪れ、クルマの大量生産が始まりました。車体は量産に向き、ボディとシャシーが一体化された強固なモノコック構造に変化しました。モノコックはボディとフレームが一体ですからボディを乗せかえるという芸当はできません。で、コーチビルダーは廃業、さもなくば大メーカーに吸収されコーチビルド文化は途絶えてしまったのです。

時はめぐって、2011年。2010年のリーマンショック後の社会意識の変化をきっかけに「絵に描いた餅」でしかなかったEVがいよいよ現実のものとなりつつあります。三菱iMiEVの発売に日産リーフの発表、テスラの日本上陸。2010年から2011年にかけて、後に日本のEV元年と呼ばれることになるでしょう。

クルマがEVになれば、モーター、バッテリー、制御機構、ソフトウエアがコモディティ化します。これは誰もが予想できることでしょう。パソコンやスマートフォンを見れば明らかなようにメーカーはそれらを組み合わせ最適化し、シャシーを作るようになるかもしれません。床下にバッテリーを置き、前か後ろにモーターと制御機構を置くことでパソコンでいうロジックボードのようなプラットフォーム構造が取りやすくなります。

ただ、ここで声を大にしていいたいのは、だからといってハンドリングや衝突安全性、乗り味といった部分は一朝一夕にできるものではないということです。

それは圧倒的に今あるクルマメーカーの有形無形のノウハウの蓄積があり、クルマメーカーの領分なのは明らかです。どこかのメーカーがプラットフォームとしてシャシーだけを販売する可能性は十分にありえますが、だからといって素晴らしい乗り味のクルマを作れるか、ということとは別の次元であります。それはAppleのMacBook Airとその他Windowsのノートパソコンが殆ど同じパーツを使っているのにデザイン、質感、使い心地が圧倒的に違うという事実が証明しています。


さて、仮にEVでパーツがコモディティ化したとすると、そこに必ずヒトは差別化を求めていくものです。人と違ったものが欲しい、と。好きなデザインのボディ、少数限定のボディを求める人々が出てくるはずです。求める人間がいれば応える人間が出てくるものです。ワンオフ、もしくは極少数のためのデザインや、ネットでボディのオーダーメイドができるようになるかもしれません。少なくともテクノロジーの進化は、かつてより少量生産も多様な意匠のボディも作りやすくしています。

そう、120年の時を経て、コーチビルドという文脈でクルマは再び馬車に戻るのです。

さらにEVにはソーシャルメディア、ジオロケーション、スマートグリッド、ナビがネットで融合します。

このあたりはWIEREDに僭越ながらコラム「クルマが「パケット」。そして道路は通信網となる」を書かせていただきました ;-)


コンポーネンツ、コーチビルド、通信の分野でその周辺に新しい産業と経済が興るでしょう。それは、新しいクルマの楽しみ方が生まれる時でもあります。今よりもっと美しく楽しいクルマが道を走る日が目の前に迫っていると思うとワタシはワクワクしますねぇ。EVの世界にようこそ。